2015年4月21日火曜日

癒しと音楽

 2011の東日本大震災が起こった当時、日本国内で様々なイベントが自粛されましたが、その潮流はクラシック音楽界も例外ではなく、各地でコンサートの中止や延期が相次ぎました。
 以降、被災された方々を励まそうと国内外のプロ・アマ問わず非常に多くの音楽家による追悼演奏が数多く行われ、本誌ヴィヴァーチェをご覧の方々の中にもそういった追悼コンサートに足を運んだり、もしくはプレイヤーとして追悼演奏をされたりした方々も多いかと思います。

大きな災害を受け復興に向かおうとしている状況において、多くの人が「癒し」を求める傾向は人間心理としてごく自然な流れであるといえます。上で述べたように追悼ライブや復興応援コンサートが多くなされることも、音楽に癒しを求めそして明日への活力をもらおうとする心理が働いているからです。

では、なぜ、人間は音楽を「癒し」の一つとして利用するのでしょうか。

音楽には人間の脳・神経に作用し、心理的に何かが改善されるという効果がある、と考えられていることに拠ると考えられます。例えば、それは音楽療法(Music Therapy)という言葉で代表されるように、音楽の人間に与える効果が医学、心理学、認知科学、バイオメカニズムといった分野で研究されています[文献1]

音楽療法という言葉をお聞きになった方は多いと思いますが、これは起源をさかのぼれば、ギリシャ神話ではオルフェウスが竪琴を弾いて病を治癒し、旧約聖書でも羊飼いダビデがユダヤ王のうつ病を、竪琴を弾いて治したといった神話から来ています。

音楽療法の定義とは、日本音楽療法学会によれば、

『音楽のもつ生理的、心理的、社会的働きを用いて、心身の障害の回復、機能の維持改善、生活の質の向上、行動の変容などに向けて、音楽を意図的、計画的に使用すること』

と、定義されています。近年、音楽療法が注目されつつあり、2001年にようやく日本でも音楽療法士という認定制度が始まりましたが、残念ながらこれはまだ国家資格ではありません。まだ、高齢者施設や養護保育などのカリキュラムの一部としてしか実践されてないのが現状です。音楽療法といっても様々で標準的な体系も整っておらず、保険の下りる医療診療の対象とはならず、まだまだ日本では未成熟な領域ですが、裏を返せば未知なる可能性と今後の発展が見込める分野ともいえます。 

もう一つ、音による「癒し」を科学的に分析するキーワードに、「1/ fゆらぎ」という周波数特性があります。

そもそも音()とは空気の圧力振動現象でして、太鼓やヴァイオリンといった楽器(音源)で発生した振動が、空気という媒体に圧力変動を与え、この変動が空気中を伝わり人間の鼓膜に届きます。

また、音は空気振動なのです周波数を持ちます。電子的な「ピー」という単調な音は、単一の波形でできていますが、ギターやヴァイオリンなどの「音色」をもつ音の波形は非常に複雑
で、異なる周波数による波形の重ね合わせでできています。その複雑な波形を周波数分析(パワースペクトル解析)すると、どの周波数がどのくらいのパワーを持っているかが分かります。そこで、各周波数の持っているパワーを周波数の低い方から順に並べると(図1)、その音()がもっている性質がを見ることができます。
では、「1/ fゆらぎ」とは何かというと図1のように、その分析結果のパワーの並びが斜めにきれいに並んでいる状態をいいます。パワースペクトルでみると電子音は縦に、雑音(ホワイトノイズ)は横に表され、「1/ fゆらぎ」は斜線(図の斜め矢印方向)で表されます。

この波形特性による音を聞いたときに、人間の脳はリラクゼーション効果を得ることができると言われています。この「1/fゆらぎ」は具体的には鳥のさえずりや小川のせせらぎがこれにあたり、クラシック音楽や三味線の音もこの波形に相当します。残念ながら、南米民族音楽ではこの特性は得られないようです
 
 
 
参考文献 .1 市江 雅芳: “音楽と人間との新しい関わり~音楽療法とその周辺~”, バイオメカニズム学会誌, Vol. 30, No. 1, pp.26-30, (2006)

2015年2月3日火曜日

今回は、コンサートのパンフレットに掲載された曲解説より。
モーツァルトの悪妻といわれたコンスタンツェについて。

 「アマデウス」という映画をご覧になったことがある方は多いのではないかと思う。その映画の中のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~91)は、天真爛漫で、無計画、浪費家、女性好き。そしてもちろん神童ではあったが総じてクレイジーといったイメージではなかっただろうか。
  コンスタンツェ・モーツァルト(1762~1842)はモーツァルトの奥様で、悪妻だったといわれている。しかし本当に悪妻だったのか? そもそも彼女はモーツァルトとの間に6人の子どもを出産し、出産時の影響もあり長く療養生活をおくっている。そんな身体の状況で本当に悪妻だったとは信じがたい。

寝たきりの生活が長かったコンスタンツェ。モーツァルトは外出するとき彼女の枕元に必ずメッセージを残していた。たとえば、「おはよう、かわいいひと!僕の願いは、お前がぐっすり眠り、なにものにも妨げられず、突然飛び起きたりせず、身をかがめず、伸ばさず、召使に腹を立てず、次の部屋の敷居をまたがないことだ。ぼくが戻ってくるまで、家出の不愉快を節約おし。お前に何も起こりませんように!――時頃戻る、云々。」

こういう思いやりのあるメッセージが日々書ける男性が世の中にはどれくらいいるか?

方や、コンスタンツェのエピソードとしては、モーツァルトがオペラ「ドン・ジョバンニ」の初演に際し、上演2日前の夜、序曲を書き加えることになった。ただ既に疲労と眠気で起きていられなくなったモーツァルトを「1時間したら起こすから、ソファーで寝たら」と勧め、実際は彼が深い眠りに落ちている様子を傍らで見守り起こすことが可愛そうになり、少し長く寝かせ2時間後の早朝5時に揺すり起こした。それでも7時には序曲が仕上がり、本番に間に合った話が残されている。これこそ内助の功ではなかろうか。モーツァルトの能力を信じ、彼が多忙な中、ベストを尽くせる環境を用意できる賢い女性。
これらの話は、モーツァルトが亡くなり10年後にコンスタンツェが再婚した相手、G.N.v..ニッセンの執筆した伝記から引用したもので、この伝記の刊行者はコンスタンツェ本人。モーツァルトが狂人変人のように作曲業に没頭できたのは、実はこのようにお互いを思いやる夫婦愛があったからなのではと、このニッセンの伝記から推測できる。

ということなのですが、イメージ変わりましたでしょうか?

2015年1月11日日曜日

葬送と音楽(2、Vivace寄稿のエッセイより)


前回の続きです。
葬送音楽についてのエッセイ。
 
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 前回、冒頭に書いたベートーヴェンの葬儀で演奏された音楽「エクアーレ」とは、トロンボーンによる教会で演奏される音楽の一形式であり古き時代に葬送のときに演奏されたが、この「4本の~」はベートーヴェンが生前に別件で依属されて書いた曲である。このように “死”をテーマにした曲は葬儀の時に演奏されたり、死後に故人を偲び演奏されたりすることが多い。最も分かりやすい形式は「レクイエム」というミサ曲の一つで鎮魂ミサ曲ともいい死者の冥福を祈る曲がある。
 モーツァルトやフォーレの作曲したものが名高いが、現代の作曲家もレクイエムを作曲しており、邦人の作曲家では合唱もなく形式も自由な武満徹の「弦楽の為のレクイエム」がある。一方、形式的には死とは関係ないが作曲の背景や題材から追悼音楽として演奏されるものもあるが、先日の東日本大震災のあとベルリンフィルが追悼演奏としてルトワフスキ作曲「葬送音楽」を演奏したことは記憶に新しい。また奇しくも我々の演奏会の前日の八月六日は広島に原爆が投下された日であるが、ペンデレツキが「広島の犠牲者に捧げる哀歌」を作曲している。戦争や災害といった悲しい重大事件があると音楽家は曲を通じて世に対して何かをしたいという衝動に駆られるのであろう。

 これらのように“ある重大事件”を受けて作曲された鎮魂曲以外にも死をテーマにした曲もある。
 シューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」は、同名の歌曲の冒頭のピアノのモチーフを二楽章に使ったことによりタイトルが付けられたが、その元となった歌詞の内容は、病に伏し死を恐れる乙女が死神に去ってくれと懇願するが死神は安息を与えるために来たのだと優しく問いかける、といった意味で死を苦痛ではなく「永遠なる安息」としてポジティブなものとして扱ったものだ。
 また、ドヴォルジャークが書いた弦楽四重奏曲「糸杉」はドヴォルジャーク自身の作曲した歌曲「糸杉」からの抜粋であるが、糸杉とは西洋ヒノキで、キリストが貼り付けられた十字架の材料という説もありその昔は棺に使われ、死や哀悼を暗示する。タイトルからすると重苦しく神聖なイメージをしてしまうが、しかし実際のドヴォルジャークが作曲した背景は、実らなかった初恋の想いによるもので、しかも結局はその失恋した娘の妹と結婚するというオチまで付いてくる。ここまでくるとだいぶ軽い内容になってきてしまったが、西洋の死に対するイメージは日本のそれよりは前向きで明るいのは確かなようである。

<後略(演奏会尾>

2015年1月4日日曜日

葬送と音楽(1、Vivace寄稿のエッセイより)

何から掲載していこうかと悩みましたが、
最初から音響の分析や、楽曲の理論というのも小難しい印象なので・・自分が団長を務めている弦楽合奏団の演奏会に絡んだネタをいくつか掲載することにしました。

Vivaceというホールとか駅に置いているらしい音楽の広報誌があるのですが、そこで以前に幾つか寄稿した中から、まずは分かりやすい話題をご提供します。

今回は「死と音楽」というタイトルで書いた短い音楽エッセイからです。
ずいぶんとまた「死」なんていう重たい内容で・・・と思われるかもしれませんが、
まったく暗い話ではないです!
以前に、その弦楽合奏団のコンサートでシューベルトの死と乙女の弦楽合奏版を
演奏する機会がありまして、その関連で書いたものです。

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「人の死と音楽」(2012年11月)

 1827329日の午後、ウィーンの2万人もの群衆に囲まれる中、楽聖“ベートーヴェン”の棺は三位一体教会(アルザー教会)へ運ばれた。死床の館からわずか150メートルの教会への距離を移動するのに1時間半もかかったといわれる。
 葬列には先頭の十字架に続き、4人のトロンボーン奏者と16人の男性歌手による「4本のトロンボーンのためのエクアーレ」の荘厳な演奏がなされ、多くの音楽家や作家、俳優なども参列しその中にはシューベルトやチェルニー、ヒュッテンブレンナーなどもいた。
 シューベルトとベートーヴェンは生前にもわずかに交流があり、青年シューベルトはベートーヴェンをたいへん尊敬していた。そんなシューベルトは葬儀の後、友人達と酒を酌み交わし偉大なる巨匠に乾杯をしたあと、“そして我々のなかで最初にベートーヴェンに続く者に乾杯!”と不吉なことを言い放ったといわれている。
 結局、シューベルトは翌年に腸チフスのために31歳でこの世を去り、ヴェーリング墓地にて敬愛なるベートーヴェンの隣で眠ることになる。

 そして、その約10年後。
 ウィーンに眠る二人の巨匠の墓前を目の当たりにして感嘆にくれる一人の青年がいた。
彼の名はロベルト・シューマン。ピアノ曲「子供の情景」や「クライスレリアーナ」、交響曲第3番「ライン」などを書いたロマン派の主要作曲家であり音楽評論家である。
 彼はその時シューベルトの墓標に花が一つも手向けられてなかったと著書“音楽と音楽家”で記している。
 まだその当時シューベルトについてはモーツァルトやベートーヴェンに比べ認知度が低かったのか。しかし、シューマンはシューベルトを最高級の天才に属するとその著書で紹介しており、さらには尊敬する作曲家が生きていた名残に触れたいという想いに駆られ、シューベルトの兄フェルディナンドなどを訪ね、故人の話を聞き喜んだといわれている。
 シューマンがフェルディナンド宅でハ長調大交響曲を発見したというドラマチックな説もあるが、ウィーン楽友協会資料室長フランツ・グレッグルが資料室に眠っていたスコアをシューマンにプレゼントしたというのが最近の説である。いずれにせよシューマンの功績により今日我々はあの大交響曲を聴くことができるようになったのであるから素晴らしい。

 以上のくだりは、音楽史に残る二人の天才の死にまつわるとあるエピソードであるが、偉大なる作曲家の死の後にはその功績に畏敬の念をもちその影響を受けて己の芸術を開花させる天才がまた続くという、この連鎖で今日までのクラシック音楽家の系譜が脈々と続いていることを指している。

~ つづく。

2015年1月2日金曜日

オープンしました!

音楽と楽器をテーマにした記事を書いていくブログを立ち上げました!

堅苦しく言えば、
私の研究分野の音楽情報・楽器音響・作曲編曲etcについて勝手気ままな内容なのですが・・・

でも、わかりやすく解説した記事を載せるようにがんばります。